平和は自分の満足となるものです。人々はいろいろなものがほしいです。もし、人々がその物をもらえたらかれらに平和がきます。その時、そこに平和があるということです。
私はくだもののなかでりんごが一ばん好きです。でもいつもりんごを食べることができません。なぜなら私の国ではりんごがあまりとれなく、とても高いからです。たくさんお金をもっていなければこの高いくだものをいつも食べることはできません。私はこどもの時、いつもテレビを見ていました。テレビばんぐみのなかでアニメが一番好きなプログラムです。だから一日じゅうアニメを見ていました。でも、私の両親はこんなことをさせたくなかったみたいです。だから、私の両親はいつも「テレビばかり見ないで勉強しなさい」といっていました。でも、私はその時勉強よりテレビのアニメのほうがずっとおもしろいことだと思っていました。でも見ることができなかったのです。その時、それは私にとって平和ではありません。
友だちの誕生日の時、私は友だちと一緒にあそびます。誕生日にお祝いをあげたり、しょくじをしたり、歌を歌ったりします。これは、本当に楽しいパーティーです。私は誕生日が大好きです。この日にみんなで一緒にあそぶことは私にとってとても楽しいことなのです。それから、私のしゅみは、旅行をすることです。私は大学が休みのとき、毎年バングラデシュのいろいろな所へ旅行に行きます。いろいろな所のいろいろな新しい物をみて私の気分が良くなります。だから、私はいつも旅行をしたいです。これは私のしゅみであり、平和なのです
私の家族は5人です。私は長男で私には3人の弟がいます。今、彼らは学校で勉強しており、かれらはとてもいい学生です。もし、彼らがしっかり勉強を終えていい人になれば、それは私の平和となるのです。母は私にとって世界で一番大切な人です。母のわらう顔を見ると私はうれしくなります。母の悲しい顔は見たくありません。ですから、母のきらいなことを私はぜんぜんしません。母のわらう顔を見ることが私の平和だからです。
今、私は大学生です。勉強は私にとって大切なものです。私は大学で教育学を勉強して、また日本語を3年間ぐらい習っております。私のねがいは勉強を終えて自分の国でいい仕事をして国の人々にこうけんすることです。私の仕事中にいいけっかをだせればそれは本当にいいことです。いい仕事ができれば私も満足できます。満足になればそれは私の平和になるのです。
私は学生ですから、いつも勉強しています。私はクラスで一番の学生です。試験ではいつもいい点をもらいます。でも私たちに英語を教える先生は学生に親切ではありません。その先生は学科長です。ですから私たちはなにもすることができません。だから私はいつも英語で悪い点をもらいます。もし、私たちにいい先生が教えてくれたら、私はいい点をもらえると思います。そしてそれは私の平和となるのです。
私の大学にもいろいろな問題があります。先生たちは時間どおりにじゅぎょうにきません。試験のけっかも1年とか1年半ぐらいの時間がかかります。学生たちは、政治のグループにはいっていて、勉強のふんいきも悪くなっています。大学は勉強の場なのに勉強の環境はよくありません。このようなじょうたいがつづいたら、どうやって私の大学に平和がくるのでしょうか。大学のみんなが一緒に、自分のことをちょっとがまんしてほかの人のことを考えれば、みんなに平和がくると思います。
私は日本語を勉強しています。私たちに日本語を教える先生のうち3人は日本人です。その先生たちの教えかたもすばらしいです。でも、バングラデシュ人の先生たちの教えかたはちょっとちがいます。日本人の先生たちは時間にとてもきびしいです。いつも約束の時間にクラスにはいります。もし、一分でも遅れれば、「ごめんなさい、ごめんなさい」といってクラスにはいります。でも、私の国の先生たちはそんなことをいいません。彼らは時間のことをあまり考えません。どうして私の国の先生たちは時間にきびしくなれないのでしょうか。私はいつもそれを考えてしまいます。もし、すべての先生たちが時間にきびしく時間をうまくつかえれば、それはクラスの学生にとって平和だと思いませんか。
私は日本人の友だちがほしいです。日本人の気持ちがほんとうにきれいだからです。わたしはバングラデシュへ来るいろいろな日本人と一緒に私の国のさまざまなところへ旅行にいきました。彼らはベンガル語がぜんぜんわからないので私がことばを手伝います。そのとき、彼らはうれしそうですし、私もうれしいです。それは私にとっての平和なのです。
ダッカ大学ではいろいろな学生が勉強しています。ここにはおおぜいの学生と先生がいます。それからいろいろな学生のせいじ組織があり、多くの政治家がいます。ですから、何度もここでぼうどうがおこりました。このぼうどうのために大学が長い間休みになるのです。これは大学生の勉強にとってとても悪いことです。長い間大学の休みは本当に残念なことです。これは学生と大学キャンパスにとって平和ではありません。大学の環境と勉強の環境をよくするために政治家たちの理解と協力が必要です。そしたらここに平和がくるのです。
私は大学の寮にすんで勉強をつづけています。この寮の一へやに4つベッドがあります。そこに8人の学生が一緒にすんでいます。一つのベッドにふたりの学生が一緒にねています。これは本当にあたらしいけいけんでした。大学の新入生と卒業生のわりあいがおなじではないので、寮にすんでいる学生が多いのです。私は勉強したいですが、ほかの学生はねたがっています。その時問題がおこります。私は勉強のために電気をつけたいですが、ほかの学生は消したがっています。これは、問題です。学生にとって一人に一つのベッドが必要です。それから、勉強のためのいい環境も必要です。もし、寮の学生たちがこの機会をもらえれば、私たちに平和が来るのです。
バングラデシュは私の母国です。ここでは面積にたいして人口が多いです。教育のわりあいもとてもひくいです。おおぜいの人が貧乏です。それからこの国ではじゅうぶんな仕事がありません。政府の仕事はあまりありません。それからほかの仕事もありません。ですから人々はなにをしようか考えます。どんな仕事でもいいから人々は仕事がほしいのです。それは良い仕事であっても悪い仕事であっても。たとえばどろぼうやごうとうなどいろいろな悪い仕事もします。この仕事はいい人にとって、とても悪いことです。こうしていい人の平和はなくなっていくのです。
バングラデシュにはわいろがたくさんあります。わいろを払わなければ、いろいろなものをうしないます。だんだんわいろはこの国の悪いぶんかになってきました。腐敗は私の国の悪いものです。私の国にはお金もちがいます。でもびんぼうな人もたくさんいます。お金もちたちはだんだんもっとお金もちになります。彼らはわるい仕事をしてお金を儲けます。でもびんぼう人はびんぼうのままです。私の国では犯罪もおおいです。いろいろな犯罪がおこなわれています。ですから私の国は平和ではありません。この国で平和をじつげんするためにみんなの理解と協力がひつようで、こういう人が多くなればこの国は平和になります。
バングラデシュにはいろいろな問題があります。私はバングラデシュ人です。バングラデシュのはってんは私のねがいです。
バングラデシュはみんしゅしゅぎの国です。バングラデシュには二つの大きい政党があります。その中で、一つは与党でもう一つは野党です。バングラデシュのけいさつはあまり親切ではありません。けいさつはときどきわいろをもらいます。それから、何もしていない人をこうばんにつれていって、こうばんからけいむしょにつれていきます。長い間さいばんがおこなわれないので、罪のない人々も長い間けいむしょにいます。どうしてでしょうか。これは、バングラデシュのさいばんシステムの悪いところです。何もしていない人がけいさつのためにけいむしょにいれられます。でもとても悪いことをした人は、けいむしょにいれられません。なぜなら、犯罪者に大きな力があるからです。私はこれを見て、本当におどろきます。これは国の平和ではありません。
この国にはホルタルがたくさんあります。いろいろな問題のため野党の政治指導者は国でホルタルをおこないます。ホルタルの時、バングラデシュでは学校や大学やバスが全部ストップします。ですから、ホルタルは人々にとって大きな問題なのです。私の国には、貧乏な人がたくさんいるので一日中仕事をしなければお金をもらうことができません。ですから、食べるお金をもらえず何も食べることができません。学生たちは学校へいくことができません。ですから、彼らの勉強は悪くなります。事務所も全部しまるのでとても困ります。だから、ホルタルは悪いことです。このホルタルは人々の平和ではありません。私たちは、ホルタルはほしくありません。
私の国では、はたらいてもきちんとお金をもらえません。もし、経営者がきちんとお金をはらったら、はたらいている人は満足できます。バングラデシュはまずしい国ですが、お金もちもいます。でも、金もちの人々はびんぼうな人々について考えていません。これは本当にざんねんなことです。お金のために一日中ごはんを食べられない人もいます。でも、もし、お金もちたちがびんぼうな人にお金をあげれば、だんだんびんぼうな人も満足になります。そしてお金をあげた人も満足になります。これは本当にいいことです。このように国の人々も満足できます。
ダッカはバングラデシュの首都で、とてもにぎやかな町です。とても人口が多いです。ほかの町からここへおおぜいの人が来て、人口がどんどん増えています。おおぜいの人がダッカで仕事をするためにいなかから来ます。彼らはいろいろな仕事をします。たとえば、リキシャをうんてんしたり、事務所ではたらいたり、いろいろな仕事をしています。おおぜいの人がこの小さい町に住んでいますから、困ることも多いです。たとえば、交通じゅたいが多いです。ダッカにはリキシャがたくさんあり、車もたくさんあるのでいつもじゅうたいがおこります。このじゅうたいで、時間もたくさんかかります。早く何かしたいとか、どこかへいきたいと思っても、このじゅうたいがあるからできません。それから、リキシャにのってどこかへいく時、しんごうであかいしんごうがついたらリキシャがとまります。それからみどりのランプがついても私のリキシャがとまっていることがあります。どうしてでしょうか。ほかの道を首相がとおる時に、そのほかの道も長時間とめられるからです。これは私にとって本当に平和ではありません。
バングラデシュにはたくさん川があり、毎年洪水がおこります。この洪水はおおぜいの人のうちをこわします。そのあと、彼らはどこにすむか、それは私たちの考えるべきことです。この洪水が長い間つづけば、人々のはたけや家もなくなっていきます。だから、彼らはほかの所へ引っ越さなければなりません。そして、洪水のため生活をするのも難しくなります。ぶっかも高くなります。ですから、おおぜいのひとは食べ物をたべられません。その時、ほかの人の協力が必要です。
平和は世界の中で一番大切なことになっています。人間として世界で生活をするためにも必要です。国によって、人々はちょっと違っているのに、誰にとっても平和は大切なものなのです。もし、世界に平和がなければ人間として、世界で人と人との関係は悪くなります。そうなれば人々は他人と悪い関係になっていきます。それは本当に悲しいことです。だから、私たちにとって平和は大切になりました。世界の中で平和はみんながほしいものです。しかし、たほうでは平和のために、国と国そして人と人が戦争をしています。アメリカは世界を平和にするため、ほかの国と戦争をしています。げんざいいろいろな国でテロがおこっています。その犯人をさがすためいろいろなちょうさをしています。これはいいことですが、いっぽうでは悪いことです。たとえば、アメリカはイラクで戦争をしています。このせんそうでおおぜいの子どもたちや良い人もころされています。本当に誰でもこの話をきいてしょうげきをうけます。でも、これも平和のためにされていることなのです。アメリカとイラクの戦争をとめるために、はじめにアメリカがどりょくをするべきです。戦争のはんたいは平和です。平和のために戦争はいりません。インドとパキスタンの関係は、前はちょっと悪かったです。でも、げんざい、両国の国際関係は前よりよくなってきました。インドとパキスタンの国きょうの問題は両国の人々の協力で、問題がなくなりました。今は、インドからパキスタンへもパキスタンからインドへも旅行できます。このように考えれば、世界のかくちのいろいろな問題は、だんだんなくなっていきます。そして人々のなかに平和もきます。
世界の平和はほんとうに難しいことです。一つ一つの国の平和が世界の平和になるのです。この世界では大きくてつよい国が小さい国を圧迫しています。だから、今、世界に平和がないのです。平和は、私がほしいものです。世界の平和を私はみたいのです。平和なしに人は生きていけません。
私の国と世界の平和をどうやってじつげんしようかそれを私は考えています。世界の平和は自分の平和だと思っています。ですから世界が平和になることが私の大きなねがいなのです。
みんなの平和のため、一人だけのことをかんがえるべきではありません。みんなのどりょくがひつようです。自分のことや自分にいいことだけではなくて、みんなの満足が必要です。みんなが満足したら、世界の人々の心の中に平和はくるのです。みんなのいしやどりょくで平和がくるのです。
みんなの心のなかに平和がくるように、私は祈っています。